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2004年 09月 30日
先日小津映画7本を三夜特別上映という催しで、二夜めの3本を観てきました。
「晩春」以前のものを観たのは初めてでしたが、やっぱり豆腐。小津はどこを切っても小津なんだなあ。 1本めは「ひとり息子」 予定では「戸田家の兄妹」が1本めのはずだったのに、予告もなく変わってたのは、制作年代順にしようという意図でしょうか。 これは1936年、小津の初めてのトーキー作品です。サイレントで撮りかけていたものが中断され、翌年にトーキーとして撮り直されたというだけあって、サイレントの絵を観ているようなカット割りもおもしろかったです。飯田媟子扮する母は、サイレントの脚本では期待通りに出世しなかった息子をもう少し穏やかに受け入れていたのが、トーキーでは激しい憤りを見せる母になったという話です。故郷に戻って仕事の合間に座り込み、遠くを見る母のラストシーンは、その胸に去来するものをいろいろ考えさせて見事。 2本めは「戸田家の兄妹」 1941年の作品。満州へ仕事で渡った次男役の佐分利信は、後期の小津映画では常連ですが、この作品の佐分利信が一番かっこいいということがわかりました。 高峰三枝子扮する妹との心温まる交流。湿っぽい優しさじゃないんですね。からかったり意地悪をしたり、ちょっと不良なお兄さんが悪さをしては妹を笑わせる。それで沈みがちな妹の心が和むといった交流が随所に見られて、その兄妹の心のやりとりが映画に素晴らしい奥行きを与えていたと思います。 最後のシーンで着物の裾を風になびかせながら、浜へ走って逃げる佐分利信がかわいい。 3本め「長屋紳士録」1947年。 実は当日朝5時前に起きていたぼくは、これが始まった夜10時半には少し辛くなりかけていたのですが、がんばって観ました。親にはぐれた子供とひょんなことからその子の面倒を見る「かあやん」の交流(これも飯田媟子が準主役。子役の青木放屁(なんちゅう名前でしょう)も少ない台詞を表情や振るまいで補って好感の持てる演技でした)。 小津映画は後期の作品群にこそ(「戸田家〜」のような)裕福な上流階級の家庭を舞台にしたものが多いですが、それ以前の作品には「喜八もの」と呼ばれる貧しい人々の日常悲喜こもごもを描いた作品群が、ありました。これもそのひとつに位置づけられた作品です。 正確な台詞は残念ながら覚えていないのですが、はぐれた父親の為に釘や吸い殻を拾い集める子供を「あたしたちが子供の頃はもっとのんびり、のびのびしてたもんだけど、子供がこんな世知辛くなる世の中になっちゃったねえ」と嘆いた「かあやん」が、終わりの方で「世知辛くなってたのはあたしたちの方だったよ」と反省する場面が、心に残りました。当時の日本で、もっとこういう警鐘を真摯に受けとめる人たちが大勢いれば、今の日本はこんな殺伐としていなかったかもしれない。 最後の方で現れる、お父さん萌えでした。 来週は三夜め。「非常線の女」(1933年サイレント)を見る予定です。
by nico
| 2004-09-30 20:13
| 映画・オペラなど
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