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2005年 07月 16日
つい、知っている人のように「さん」づけしてしまいたくなるお方である。
キャリアが長いので今さらという感じもするが、メジャーデビューは山下達郎らと組んだシュガーベイブとして74〜75年まで活動。短い期間だが日本の音楽シーンの歴史に無視できない足跡と1枚のアルバム『Songs』を残した。その後坂本龍一らのバックアップを得てソロ活動を展開して現在に至るが、その間ラテン、ロック、クラシック、ヨーロピアン・ポップなど様々なスタイルを取り入れたヴァラエティに富む楽曲を発表するかたわら、80年代〜90年代にかけてはアフリカや南極などを旅行し、紀行文、エッセイなどの文筆活動にもその才を発揮した。近作の『note』や『One Fine Day』ではとくに余計なものをそぎ落としたシンプルなスタイルで自己の核に迫って行くような緊迫感のある音楽活動を展開している。 大貫妙子というと、しっとりしたヨーロッパ調の歌か『ピーターラビットと私』に代表される童話世界にインスパイアされた「みんなのうた」的な歌を、思い浮かべる方が多いのではないか。「儚さ」を具現化したような歌唱はたしかにそういうソフトなメロディに、よく似合う。 ただ個人的にはビートの効いたどちらかと言えばハードな楽曲が好きだ。あの細い繊細な声でロックを歌う時、なぜか彼女の人と成りが端的に出てすごくかっこいい。そういう歌は彼女が書く文章と同じように乾いて真っ直ぐで率直で、自分や世界をクールに見つめる歌が多く、聴くたびに友達を見つけたようなわくわくした感じを持ってしまう。 『軽蔑』(1980年) 人の噂はどこまでも 私、憂鬱にさせる 誰もほんとのことなんか 知りたくもないんだわ 『LEAVE ME ALONE』(1985年) 近づきすぎるから 今を見失ってしまう 無表情な時がまた空回りをはじめた 教えてほしい 今が始まりなのか 終わりなのか and I say, LEAVE ME ALONE 私は私を何も知らない 『あなたに似た人』(1987年) 壁の落書きのように 街にふられつづけている うしろを向いた純情なんか ちっぽけで悲しいだけ 『Happy Go Lucky』(1997年) 好きなものは 好きだと言っていいでしょ もしそれが あなたと違ってても 『愛を忘れないように』(2000年) 愛想がないと言われても おかしくなけりゃ笑えない おんなじ服や髪の色 はやりすたりは気にしない すぐにあやまるくらいなら こんなに楽なことはない などなど・・ やわなセンチメンタリズムをばっさり切り捨てて、涼しい顔で「それが何か?」とこちらに問うてくる。「自分は自分だ」と言い切れる強さをどこまでもなくさない。 歌や文章だけじゃない、ラジオのトークや雑誌のインタビューなどなど、彼女がそれらの中でいわゆる商業トークをしているのを、この30年見たことも聞いたこともない。プロダクションやリスナーが作り上げた虚像に踊らされることも媚びることもない、どれをとってもそこにいるのは実体を伴った生身の「大貫妙子さん」という人物なのだ。 大貫さんと間近に遭遇したことが一度ある。以前に書いた吉田美奈子さんの(たしか)76年のコンサート会場だった。コンサートが終了しホールを出ると、ロビーの暗がりでひとりソファに座った彼女がいた。ソロアルバムを1枚出したころじゃなかっただろうか。そのころのぼくは「ミーハー」はかっこわるいことと思っていたから(今でも思っている)サインを貰おうなどとは考えなかった。ただ「ちっちゃいなー」と(本当に小柄な方です)横目に思いながら会場を出てしまった。ぼくが彼女の音楽の魅力に目覚めたのは、その後78年に出たソロ3作目「Mignonne」(右上の写真)だった。 「あー、もったいないことしたな」と思ったのもいささか遅すぎる後の祭りだった。
by nico
| 2005-07-16 01:08
| にこの耳
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